天空の城ラピュタ…パズーでよかった、ほんとによかった
こんにちは、コロンです(´・ω・`)
今回は天空の城ラピュタについて書きましょう。
なお、ここでのイラストは、すべて私がipadで描いたものです。
ネタバレを含みます、というかこの記事は既に観たかたを対象としているので、ラピュタまだ見てねえええ!!!というかたは読まずに別の記事へどうぞ。
また、少し長いので、「めんどくさい」と思うかた向けに、ダイジェスト版もご用意しました。こちらですと20秒で読めます。
↓
marumaru-marron.hatenablog.com
いちおう、ざっくりストーリーをまとめておきますね。
そして試しに文章の口調を変えてみますがお気になさらないでください。
まずはラピュタとは
パズーのお父さんが見た「空に浮かぶ島」つまり天空の城。
ガリバー旅行記にも出てくるらしい。
そして有名な単語、バルスとは
飛行石の究極魔法の詠唱呪文で、金曜ロードショーでラピュタがOAされる際にはツイッターがバルス祭りになる程の人気呪文である。
メテオや、ホーリーを凌駕するレベルである。
わたしがラピュタに関してどうしても思うこと、それは
1.パズーの人類史上最高のイケメン具合
2.シータの肝っ玉の強さ
だ。ぜひみなさんにも共感してほしい。
では、まとまらず読みにくいとは思うが、さっそく持論を展開してみることにしよう。
パズーはどうしてもイケメンである。
イケメンという単語とは切っても切り離せない存在だと私は思う。
※ただ、声を聴くとクリリンも目に浮かぶ(声優さん一緒ですからね)
ジブリでイケメンというと、やはり「ハウルの動く城」のハウルや、「千と千尋の神隠し」のハク、「もののけ姫」のアシタカを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
実際私の友人は、揃いも揃って皆そう発言している。
※トンボについてはスルーされがちだ。
だが、それは安直というものだ。
パズーこそが真のイケメンなのだ。
共通見解をもつ同志には、男を見る目があると断言しても良い。
なぜか?
シータの視点から考えてみよう。
ipadでがんばって描きましたよ・・・。
まずは出会いの段階でまさしく運命的な出会いをしているのだが(空から光を放った少女がふわふわ落ちてきて、それをお姫様抱っこでキャッチする)、なにより、目を覚ましたシータとの最初の会話での発言がこれだ。
「さっきまでひょっとすると天使じゃないかって心配してたんだ。」
天使といわれてときめかない女子はいるのだろうか。
いや、いない。
しかも当然だが、口説くつもりで発言しているのではなく、ごく自然に純朴な口調で、心から素直に発言している。「だから」、ときめくのだ。
一方ハウルは、物語終盤でこそようやく自分の弱さを認め、言動に誠意を感じるようになるが、最初のころは「下心みえみえの薄っぺらなかっこつけ発言」しかしていない。口説いてるにおいがプンプンするので、まったく趣を感じない。ハクは容姿端麗で礼儀作法も習得しているが、幼児なので除外しよう。
アシタカも実際中身を伴ったイケメンであるが、見た目がすでにイケメンなのでパズーにおける「イケメン」の意味と並べて考えることはできない。
パズーは、
動物を飼っている。動物好きの人間は優しいという公式はおそらく百年以上前から成り立っている公式なのではないかと私はひそかに思っている。
鳩だが、たぶん適用されるに違いない。
(アシタカもヤックルを飼っている..)
そしてパズーは、夢(目標)を持っている。
宮崎アニメではほぼ必ずといっていいほど「空へのあこがれ」を抱くキャラクターがでてくるが(宮崎駿監督の自己投影なのかもしれない)、パズーの場合は
・亡くなった父のように自分も飛行機を自力で作り上げて、空を飛ぶことを夢見ている
・ひとり身でも懸命に毎日働いて生きている
・貧しい暮らしの中でも、稼いだお金で少しずつ飛行機の部品を買って、目標のために実際に行動している
・めぐまれない境遇でもスレることなく、まっすぐ育っている
など、イケメンバロメーターに与える影響は非常に大きいファクターがたくさんある。
さて、
飛行船から落ちるときに気圧の変化とGの負荷と恐怖で気を失ってしまったシータだが、目を覚ますと
通常であれば、「おわった」「やばい」と思うだろう。自分の貞操を案ずる恐怖、自分の置かれた状況が呑み込めない恐ろしさにまずは動揺する。それがだいたいの女の子というものだろう。
だがしかし、ここで注目したいのがシータの肝っ玉である。
とくに動揺することもなく、周りをきちんと見渡し、屋根へつづく階段を平然とのぼっていく。
なんという肝っ玉美少女なのだろうか。純朴、純粋なだけだとはわかっているが、それでも感嘆せずにはいられない。
そもそも飛行船でムスカ達に軟禁されていた際も、海賊の襲撃の混乱に乗じてムスカを背後から空き瓶で殴打し、気絶させたうえ胸元をまさぐり、奪われた自分の飛行石を奪還しているのだからかなりの肝っ玉であることは物語冒頭から窺いしれていた。
気絶させるほどの威力で殴打など、ふつうの女の子にはできるだろうか?
いや、できない。
肝っ玉といえば、終盤でパズーが見つかってしまい銃で撃たれそうになったとき、身を挺しておとりになり黒メガネたちを襲撃したり、
ムスカに追い詰められたときも脅しに屈せず、あなたはここから出ることもできずに私と死ぬの、と意志を貫いたり。
シータ。
なんと肝っ玉な、芯のある女の子なんだろう。
さて、またパズーのイケメンエピソードに話を戻そう。
見張り台でのシーンでは、寒さをしのぐためかぶっていた自分のタオルケット(毛布)にシータをいれてあげ(すっぽり!)、ひとつの毛布をシェア。
圧倒的な包容力で包み込み、至近距離で、互いの体温で温めあうのだ。
しかも、というかもちろん、まったくいやらしくない。それがいいのだ。
自分の恐怖心を打ち明けると、優しく励ましてくれ、加えてこの発言である。
「全部片付いたら、きっとゴンドアへ送っていってあげる。見たいんだ、シータのうまれた古い家や、谷や、ヤクたちを..。」
親もいない、頼れる大人も誰もいない、そんな境遇に置かれたときにこの言葉。
ときめかない女子がいるだろうか。
いや、いない。
この言葉を受けたシータの「パズー・・・♡」というセリフ、あれは声優さんが素晴らしい働きをしている。めちゃくちゃ色っぽい。
幾度も自分の危機を救い、心の支えになってくれるパズーに、ときめかない女子はいないはずだ。最後は自分の命をも顧みず、シータを救うくらいなのだ(ムスカの凶行を防ぎ、ラピュタを守り、世界を守った)。
海賊たちと別れ、シータをちいさな凧型の飛行機にのせ送っていく描写で物語はラストを迎える。
きっとあの後、まずはパズーのすむ町におりたち、そこでお金をためてシータをゴンドアへ送ってあげるのだろう…。
私にはふたりが結婚する未来が見える。
さて、最後に、もう一度振り返ってみよう。
物語初期、目を覚ましたシータが階段をあがると....
あっ♡
というかわいらしい声を発し、パズーと出会う。
「やあ!ぼくはパズー。この小屋でひとり暮らしをしてるんだ。」
そして先ほどの天使発言へ...。
考えてみてほしい。
もしも、これが…。
「やあ、お目覚めかね。ぼくはムスカ、この小屋でひとり暮らしをしてるんだ。」
「しばらくここに二人っきりで住むのだからな。」
おわかりいただけただろうか?
パズーの偉大さを感じずにはいられない。
私は涙をぬぐう。
パズーでよかった、本当によかった・・・・・・。
自分の彼女や彼女候補のこころの本質を知りたければ、「ジブリで一番イケメンなのっ誰だと思う?」と聞いてみてほしい。
パズーだと答えれば男を見る目がある。勇気があること、守ってくれて頼りになり、気負わずにありのままに接することができる存在を選んでいる。
何よりも、見た目で判断していないのだ。自分の容姿に自信がなくても、そんな彼女になら自信を持って接していい。身だしなみは大事だが。
ハウルだと答えればわりとチャラい(ちょろい)かもしれない。アシタカだと答えれば、なぜそう思うのか、根拠(外見に関してではなく内面をどう感じたか)を聞いてみるべきである。
ハクは…人外/幼児 なので、色々と深く聞き、考え直したほうがいいかもしれない。
あ、
トンボは、単に夢見る男の子が好きといったところだろうか…
実際、宮崎駿監督の作品における男性の主要キャラたちは皆魅力的なのだが、この記事ではパズーをクローズアップして記述してみた。その他のキャラのファンのかたには申し訳ないことをしたと反省している。
ラピュタは少年・少女のための「勇気や冒険」をテーマにした作品だとわたしは解釈している。
そこに描かれたキャラクター「パズー」「シータ」の魅力を、少しでも感じていただけたら幸いである。
またのちほどラピュタのガチなまとめ記事を書こうと思う。
読んでいただきありがとうございました。^^